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フライト日誌

過去ログ: 2014年8月のフライト日誌

三沢市立三沢病院事業運営審議会の開催

29日(金)午後3時30分より三沢市立三沢病院1階会議室に於いて、三沢市立三沢病院事業運営審議会が開催されました。

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今回の案件は報告事項として

①平成25年度三沢市立三沢病院事業会計決算について

②平成26年度審議会研修について

③PET/CT事業の経過報告

以上の、3点で、私からは「平成20年度から平成33年度までの収益収支計画書において、25年度から地方公共企業法が全部適用となり、さらには来年から運用が始まるPET自事業など、計画策定された当時から環境が大きく変化をして、数値目標の整合性が取れていない現状で、近い将来見直す考えがあるか。」と尋ねました。

病院事務局長からは、「全く同感である。お時間をいただき検討に入りたい」と回答をいただきました。

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また、閉会後、現在建設中の「三沢市立三沢病院PET-CT画像診断センター」を見学して参りました。

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※決算の内容、PER事業の概要はPDFでご覧下さい。

平成26年三沢市議会第3回定例会が告示されました

8月28日(木)平成26年三沢市議会第3回定例会が告示されました。

提出された議案は、認定第1号:平成25年度三沢市一般会計歳入歳出決算認定について他9件。議案第49号:平成26年度三沢市一般会計補正予算(第2号)他24件。

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また、一般質問の通告締め切りは9月1日(月)。もちろん、今回も一般質問を行います。

なお、9月2日(火)午前10時より議会運営委員会の前に一般質問の登壇順の抽選が行われますので、登壇日が決まり次第お知らせいたします。

さぁ~決算審査!しっかり資料を精査し決算審査特別委員会に臨みたいと思います。

以下、本定例会の日程です。

・8月28日(木):招集告

・9月1日(月):一般質問締切

・9月2日(火):議会運営委員会 ※一般質問登壇の抽選

・9月8日(月):本会議(開会)

・9月11日(木):一般質問

・9月12日(金):一般質問

・9月16日(火):決算審査特別委員会

・9月17日(水):補正予算・条例等特別委員会

・9月19日(金):本会議(閉会)

【動画】平成26年みさわ祭り囃子競演会(中央町二丁目祭礼)

今年は第3位を受賞しました!

https://www.youtube.com/watch?v=yYeliURmwQ4&list=FL48C2rngrA9Ueo_w4cDRaPg

祝90周年みさわ祭り!盛大に行われました(8月21日~8月24日)

みさわ祭り祝90周年!

8月21日(木)みさわ祭りの前夜祭を皮切りに22日(金)お通り(合同夜間運行)、23日(土)中日、24日(日)お還りと盛大に行われました。

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ミス・ビードルドームで開催された前夜祭では、祭ばやし競演会並びに自作山車審査会が行われ、私が祭礼委員長を務める中央二丁目祭礼委員会は、祭りばやし第2位!山車審査では、優秀賞を受賞いたしました。

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また、お通り(合同夜間運行)では、市民の皆さまからたくさんのご声援をいただき90周年の節目のお祭りを、子ども達と一緒に大いに盛り上がりました。

※あと30分で合同運行が終了~ってところで雨にあたり・・・山車小屋までのけん引は、もの凄い大雨となりましたが無事に事故も無く終えることができました。山車組の皆さん、本当にお疲れさまでした!!

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※流し踊り出陣前に同級生の奥本菜保巳議員とツーショット!

中日の流し踊りでは、三沢市議会チームの一員(9名参加)として、参加させていただきましたが、沿道からのたくさんのご声援をいただきとても楽しく充実したひと時となりました。

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最終日のお還りでは、恒例の山車わかれでも大いに盛り上がり、短い三沢市の夏を市民の皆様と一緒に楽しむことができ、本当に90周年の歴史と伝統を噛みしめながら・・・

来年以降、100周年へ向けて我々祭礼関係者もこの感動を後世へ伝え繋ぐべく決意を新たにいたしました。

最後になりましたが、これまでみさわ祭りに関わってこられた先人の方がへの感謝の気持ちを噛みしめながら、心から敬意と感謝の気持ちを表したいと思います。

本当にありがとうございました。

報知日米號搭乗員慰霊之碑(ほうちにちべいごうとうじょういんいれいのひ昭和37年建立)について

三沢市戦没者追悼式に関連して、会場である招和台にある石碑の由来について投稿します。
最後に報知日米號搭乗員慰霊之碑(ほうちにちべいごうとうじょういんいれいのひ)昭和37年建立

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昭和2年、アメリカ人リンドバーグがニューヨーク・パリ間およそ5,800キロに及ぶ大西洋無着陸横断飛行に成功したことから、冒険飛行家たちはにわかに太平洋に暑い視線を送るようになりました。そうした折、昭和6年に三沢村の人たちから見守られながら2人のアメリカ人が淋代海岸から飛び立ち、途中で車輪を捨てて41時間余りも飛び続け8,000キロのかなたアメリカ・ワシントン州のウェナッチに胴体着陸し世界初の太平洋無着陸横断飛行を成し遂げたのです。一方、日本人もこうしてはおれないぞと報知新聞社が2回ほど北アメリカに向かって飛び立つ計画を試みましたが、いずれも失敗してしまいました。本間機長以下の搭乗員はその3回目の計画に挑むことになりました。そして、小比類巻要人宅に泊まって村人たちの協力を得ながら準備をととのえ、昭和7年9月24日未明、満を持して淋代海岸を離陸しました。
しかし、数時間後に通信が途絶えてしまいました。それから約1年間北の洋上を捜索しましたが何の手がかりも得られませんでした。離陸に先立ち井下通信士は、「技術には充分な自信あるも天祐は左右し難し」との遺書を家族にあてていました。きっと万が一のことを覚悟されていたに違いありません。
この碑は昭和37年本間機長と海軍兵学校が投機であった桑原虎男氏らによって資金が集められ建てられものです。
三沢市戦没者追悼式では、ここで紹介した4つの碑に献花、黙祷を捧げています。

なお、世界初太平洋無着陸横断飛行の詳細はこちらから
【三沢市ホームページ】
http://www.city.misawa.lg.jp/index.cfm/9,11625,33,1,html

報效義曾三番艇遭難の碑(ほうこうぎかいさんばんていそうなんのひ昭和15年建立)について

三沢市戦没者追悼式に関連して、会場である招和台にある石碑の由来について投稿します。
次に報效義曾三番艇遭難の碑(ほうこうぎかいさんばんていそうなんのひ)昭和15年建立)

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明治8年、日本とロシアとの間に「千島・樺太交換条約」が結ばれ、千島列島は日本の領土として認められていました。しかし、そこには守備隊を置かなかった為に、よそからの密漁などによって荒らされていました。そんなとき自分たちの手で千島の島々を守ろうと、海軍大尉を退いた郡司成忠(ぐんじしげただ)を会長とする報效義曾の会員およそ80人余りの人たちが明治26年3月、5艘の短艇に乗り込んで群衆の大声援に送られながら、隅田川を出発し太平洋沿岸沿いに北へ向かいました。途中原釜と気仙沼とで新たに2艘を加え、荒波にもまれながら北上し続け、5月18日には6艘が鮫港に停泊し出港の準備を整えていました。20日午後まず第一報效丸2番艘及び3番艘の3艘が次の停泊予定港大港に向かいました。はじめ順風でしたが次第に天候がくずれ、夜になると激しい暴風雨となり、郡司を乗せた第一報效丸は出戸海岸に乗り上げ、2番艘も白糠港にのがれましたが、3番艘10人の乗組員は全員海にのまれ22日になって艇だけが悲しく砂ケ森海岸に流れ着いたのです。艇長木南正照(きみなみまさてる)は艇の操縦に最もすぐれ、郡司の信頼も厚かったようです。
北の領土を守る為に命を賭けることをものともしなかった3番艘乗組員の死が惜しまれ、最初に避難場所である砂ケ森海岸に木碑が建てられ、次に昭和15年5月に石碑が岡三沢下沢に建てられたのですが、太平洋戦争が終わった後この場所に移転しました。

殉国之霊碑(昭和32年建立)について

三沢市戦没者追悼式に関連して、会場である招和台にある石碑の由来について投稿します。
次に殉国之霊碑(写真左・昭和32年建立)
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日本は、昭和に入ると満州事変から日中戦争へと中国大陸での戦線を拡大していきました。ヨーロッパでは昭和14年にドイツがポーランドに侵入してきたことに対してイギリス・アメリカ・フランスがドイツに宣戦し、日本もまた昭和16年イギリス・アメリカに宣戦して大東亜戦争に突入、戦火は世界的に広がっていきました。日本は、はじめ郵政であったもののやがて次第に追いつめられ、昭和20年に無条件降伏しました。
日本とアメリカなどが主として太平洋を舞台として他達加tことを指して「太平洋戦争」と呼ぶようになりました。
これらの戦争における交戦国は50以上にのぼり、世界中でたくさんの人が犠牲になりました。
三沢村からも多くの青年たちが遠い戦地へおもむき、300人以上も帰らぬ人となりました。
この石碑は、戦没者の遺族や一般町民の寄付などにより建てられました。座台の中は納骨堂になっていて、戦没者の遺骨が納められています。

鎮魂碑(昭和24年建立)について

三沢市戦没者追悼式に関連して、会場である招和台にある石碑の由来について投稿します。
初めに鎮魂碑(写真右・昭和24年建立)

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幕末以来西欧の国々がさかんに東洋へ進出をうかがっていた頃、これに対抗して富国強兵につとめていた日本が明治年間に国際関係のもつれから、清国次いでロシアと戦争をして勝ち、日本は世界から注目されるようになりました。戦勝を祝う行事は全国に広がり、戦死者を弔うための石碑も各地に建てられました。
三沢村では明治の終わり頃、日清・日露の両戦での戦死者をまつる為にこの石碑を五川目堤の北側に建てました。石碑の文字はその頃弘前市に本営を置いていた第八師団麾下の歩兵第四旅団長 依田廣太郎(よだひろたろう)陸軍少将に書いていただいたということです。
それからは毎年村をあげての招魂祭が盛大に営まれました。太平洋戦争が終わると日本は敗戦国として占領軍の管理下におかれ、このような石碑も日本軍に関係するものとしてあちらこちらで壊される運命にありました。
しかし、当時の三沢村の人たちは、それを悟られない様にこの石碑に彫られた文字の大部分を削って、その保管の為にがんばり通したのです。
昭和24年、大三沢町遺族会が中心となって、碑台に納められていた遺骨と共にここに移転し、戦後第1回の招魂祭を挙行しました。

平成26年度三沢市戦没者追悼式

17日(日)午前10時より招和台(浜三沢)に於いて、平成26年度三沢市戦没者追悼式が挙行されました。

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先の大戦で、祖国、家族の安泰を願い、遠い異国の地に於いて心ならずも戦火に倒れ、祖国のために命を捧げられた英霊に対し、来賓並びに遺族の方々と共に不戦と恒久平和を誓いました。

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市議初当選以来、毎年欠かさず出席させていただいておりますが、昨年は、安部晋三総理大臣の靖国参拝が実現しました。

そうした中、韓国、中国との外交関係が懸念される状況下、集団自衛権の解釈議論等・・・

この国のあり方、取り分け国防については国民全体での議論を避けて通れない現状において、基地を抱える三沢市民、そして政治家として真正面からこの問題へも取り組まなければなりません。

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※式典後、三川目小学校の生徒による「海鳴り太鼓」が奉納されました。

来年は父、寿之の十三回忌です

お盆の入り!暑くなりました。
父が亡くなって11年…
来年は十三回忌を迎えます。

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本当に時の経つのは早いものです!

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